B'zハリウッド・ロック・ウオーク殿堂入り!
初ネタでもうひとつ。
2007/11/19
音楽界の発展に貢献したアーティストや音楽関係者をたたえる
『ハリウッド・ロック・ウオーク』の殿堂入りを果たした。
米ロサンゼルスのギターセンターで授賞式が行われた。
式典主催者の広報担当者によると、アジアのアーティストの受賞は初!
式典にはB'z(稲葉 浩志&松本 孝弘)が出席した。
集まったファンの前で記念の手形をプレートに刻んだ。
式典で二人は英語で挨拶した。
松本 孝弘「この場にいるなんて結成時には想像できなかった」
稲葉 浩志「ファンの皆さんのおかげです」
ハリウッド・ロック・ウオークは1985年に設立され、
エルビス=プレスリー、ジョン=レノンなども名を連ねている。
B'z
ヴォーカルの稲葉 浩志とギターの松本 孝弘。
名前は『いなば こうし』と読む。
『こうじ』と読んだらモーグリです(・∀・)クポー
作詞を稲葉 浩志、作曲を松本 孝弘が務める。
まず英語で作詞して日本語に直すそうな。
元々邦楽をあまり聴かなかったようで、
英語で歌うことに慣れていたため日本語で歌うのが恥ずかしかった。
1stアルバム『B'z』は英語を多用した抽象的な歌詞になっていた。
『Nothing To Change』のみ亜蘭 知子が作曲。
2ndアルバム『OFF THE LOCK』では今の歌詞に通じる部分があるが、
実はこのアルバムの製作時が一番つらい時期であったという。
曲は既に出来上がっているのに、
自分が担当する詞がまったく出来ていなかった状況に大変焦った。
常に作詞のことを考えているのが憂鬱でしょうがなかったとのこと。
また、苦労して作詞をしても周りから批評される、
何が言いたいのか分からない等で、
『途中で投げ出して逃げたいと何度も思った』と後に語っている。
現在でもこのアルバムを聴くと拒絶反応を起こすことがあるらしい。
3rdアルバム『BREAK THROUGH』以降は独自のスタイルを確立するため、
ロックでは敬遠されるような言葉や口調を積極的に取り入れる。
『ギリギリchop』や『愛のバクダン』など。
1997年にソロデビュー。
1stアルバム『マグマ』をリリース。
初登場一位、タイアップなし、シングル曲なしにも関わらず、
ミリオンを達成という日本記録を樹立。
この記録は(多分)現在も保持されている。
声量がありマイクをなしでもライブ会場全体に声がいきわたるほど。
ライブではしばしばステージを端から端まで走りながら歌っているが、
声量もほぼ維持されたままであるから驚きだ。
二時間以上あるライブを通してほとんど乱れない。
その声を維持するために夏でもクーラーなし、
冷たい物や辛い物は極力口にしない、
ライブ後は必ず声帯の診断をしてもらうなど自己管理を徹底している。
モデルの仕事をやっていたことがある。
昔はタバコを吸っていた。
小学校教員免許と高等学校教員免許(数学)を取得している。
中学校教員免許(数学)は教育実習時に髪を切るのが嫌だったから
研修を途中で止めた。
高校時代に受けた全国模試で数学が全国三位だった。
実家が化粧品店。
津山観光センターに『稲葉浩志君メモリアルロードコース』がある。
アネコメ:
人より苦しんで、がんばって、あきらめなかったから、より先に行けるのだなぁ。
初ネタでもうひとつ。
2007/11/19
音楽界の発展に貢献したアーティストや音楽関係者をたたえる
『ハリウッド・ロック・ウオーク』の殿堂入りを果たした。
米ロサンゼルスのギターセンターで授賞式が行われた。
式典主催者の広報担当者によると、アジアのアーティストの受賞は初!
式典にはB'z(稲葉 浩志&松本 孝弘)が出席した。
集まったファンの前で記念の手形をプレートに刻んだ。
式典で二人は英語で挨拶した。
松本 孝弘「この場にいるなんて結成時には想像できなかった」
稲葉 浩志「ファンの皆さんのおかげです」
ハリウッド・ロック・ウオークは1985年に設立され、
エルビス=プレスリー、ジョン=レノンなども名を連ねている。
B'z
ヴォーカルの稲葉 浩志とギターの松本 孝弘。
名前は『いなば こうし』と読む。
『こうじ』と読んだらモーグリです(・∀・)クポー
作詞を稲葉 浩志、作曲を松本 孝弘が務める。
まず英語で作詞して日本語に直すそうな。
元々邦楽をあまり聴かなかったようで、
英語で歌うことに慣れていたため日本語で歌うのが恥ずかしかった。
1stアルバム『B'z』は英語を多用した抽象的な歌詞になっていた。
『Nothing To Change』のみ亜蘭 知子が作曲。
2ndアルバム『OFF THE LOCK』では今の歌詞に通じる部分があるが、
実はこのアルバムの製作時が一番つらい時期であったという。
曲は既に出来上がっているのに、
自分が担当する詞がまったく出来ていなかった状況に大変焦った。
常に作詞のことを考えているのが憂鬱でしょうがなかったとのこと。
また、苦労して作詞をしても周りから批評される、
何が言いたいのか分からない等で、
『途中で投げ出して逃げたいと何度も思った』と後に語っている。
現在でもこのアルバムを聴くと拒絶反応を起こすことがあるらしい。
3rdアルバム『BREAK THROUGH』以降は独自のスタイルを確立するため、
ロックでは敬遠されるような言葉や口調を積極的に取り入れる。
『ギリギリchop』や『愛のバクダン』など。
1997年にソロデビュー。
1stアルバム『マグマ』をリリース。
初登場一位、タイアップなし、シングル曲なしにも関わらず、
ミリオンを達成という日本記録を樹立。
この記録は(多分)現在も保持されている。
声量がありマイクをなしでもライブ会場全体に声がいきわたるほど。
ライブではしばしばステージを端から端まで走りながら歌っているが、
声量もほぼ維持されたままであるから驚きだ。
二時間以上あるライブを通してほとんど乱れない。
その声を維持するために夏でもクーラーなし、
冷たい物や辛い物は極力口にしない、
ライブ後は必ず声帯の診断をしてもらうなど自己管理を徹底している。
モデルの仕事をやっていたことがある。
昔はタバコを吸っていた。
小学校教員免許と高等学校教員免許(数学)を取得している。
中学校教員免許(数学)は教育実習時に髪を切るのが嫌だったから
研修を途中で止めた。
高校時代に受けた全国模試で数学が全国三位だった。
実家が化粧品店。
津山観光センターに『稲葉浩志君メモリアルロードコース』がある。
アネコメ:
人より苦しんで、がんばって、あきらめなかったから、より先に行けるのだなぁ。


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